今日の聖句6月8日(火)\(^o^)/ わたしは、・・・平和をあなたの管理者とし、正義をあなたの監督者とする。 イザヤ60:17 なぜなら、神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊による義と平和と喜びだからです。 ローマ14:17 ************** 今週のテーマ:祈り きょうの聖書:詩篇143:1-12 詩篇143篇1節〜4節 主よ私の祈りを聞き私の願いに耳を傾けてください。あなたの真実と義によって私に答えてください。あなたのしもべをさばきにかけないでください。生ける者はだれ一人あなたの前に正しいと認められないからです。敵は私のたましいを追いつめ私のいのちを地に打ちつけ死んで久しい者のように私を闇にとどめます。それゆえ私の霊は私のうちで衰え果て心は私の中で荒れすさんでしまいました。 「懺悔の祈り」 この詩篇143篇は詩篇の中の七つの懺悔の祈りと呼ばれているものの一つです。昨日は祈りの種類を書きましたが、祈りの中にはこのような懺悔の祈りもあります。この143篇はダビデが息子のアブシャロムに謀反を起こされた時の苦しみの中で神様からの赦しを求めて祈った悔い改めの祈りです。神様は自分の罪を認める人に恵みを与えてくださいます。 謀反は罪ですから、謀反を起こしたアブシャロムに罪があり、アブシャロムの罪が責められなければならないところですが、ダビデはアブシャロムに謀反を起こさせてしまった罪は自分にあると考えています。そこがダビデの素晴らしいところであり、私たちが学ぶべき姿勢です。自分の子育てと、家庭と国内の統治が不十分であり、その結果の謀反ですから、ダビデに非があることは当然です。 罪を犯した人の心には、他人への恨みがあり、そして不愉快が募ります。次いで、自身の喪失、無力感に襲われます。更に心の中には闇が広がり、うなだれていきます。ダビデは自分を「死んで久しい者のよう」だと言っています。それは、殺されて地面に放り出され、しばらく放置されていた死骸のようだということです。ダビデの心は衰え果ててしまいましたが、神様の憐れみは尽きることなくダビデに向けて注がれていました。 そして、「あなたのしもべをさばきにかけないでください」と赦しと救いを求めさせてくださったのです。私たちも殺されて放置されてしまった死骸のようになることがあるとしても、神様は悔い改めて信仰に復帰する道を残していてくださるのです。ダビデはこの祈りの最後で「あなたの恵みによって私の敵を滅ぼし私のたましいに敵対するすべての者を消し去ってください」(12節)と祈って神様の前に勝利の歌を歌ってます。 祝福を祈ります。