今日の聖句6月1日(火)\(^o^)/ もしあなたがたが、心のすべてをもって主に立ち返るなら、あなたがたの間から異国の神々やアシュタロテを取り除きなさい。 1サムエル7:3 どんなしもべも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは、神と富とに仕えることはできません。 ルカ16:13 *************** 今週のテーマ:イエスに輝く きょうの聖書:ルカ24:28-35 ルカの福音書24章32節〜35節 二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」二人はただちに立ち上がり、エルサレムに戻った。すると、十一人とその仲間が集まって、「本当に主はよみがえって、シモンに姿を現された」と話していた。そこで二人も、道中で起こったことや、パンを裂かれたときにイエスだと分かった次第を話した。 「心は内で燃えていた」 これはイエス様が復活した日の夕方のことです。二人の弟子はイエス様が死んでしまい、もう会えないと思って絶望し、自分たちの出身地であるエマオ村に向かって歩いていた時のことです。ペテロやヨハネなどはイエス様が復活したことを知っていたのですが、この二人には知らされていませんでした。 それで、イエス様はこの二人に直接面会して復活したお姿を見せてくださったのです。この二人はイエス様が道々聖書の説き明かしてくれていたのですが、それがイエス様だと気が付きませんでした。宿に入ってイエス様がパンを祝福して分け与えてくれた時に自分の目の前にいる人が復活したイエス様だとわかったのです。 私たちの心が燃え、私たちの人生が輝くのは、復活したイエス様と触れ合い、心がみことばに触れる時です。この二人は復活したイエス様から直接みことばの説き明かしを受けたのですから心は燃えるはずです。迷いの中にあるクリスチャンにみことばが届くとその人の顔に生気が戻り、目にも輝きが戻ります。 礼拝中にみことばや説教に感動して「アーメン」と声を出してしまうことがしばしばあります。そのような時、私たちの心は燃やされているということです。「そうだ、そうだ」とうなずきながら礼拝する人もいますがそれも同じです。「アーメン」とは「そうだ」という意味ですから。礼拝の楽しみはみことばで燃やされることです。燃えれば自然に光り輝き、明るくなるのです。 祝福を祈ります。