今日の聖句5月22日(土)\(^o^)/ 主よ、あなたこそ神です。あなたのおことばは、まことです。 2サムエル7:28 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。 ヘブル 4:12 *************** 今週のテーマ:受け入れるイエス きょうの聖書:ヨハネ9:1-12 ヨハネの福音書9章1節2節3節 イエスは通りすがりに、生まれたときから目の見えない人をご覧になった。弟子たちはイエスに尋ねた。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。 「先天的な障害さえも」 イエス様と一行が道を歩いていたときに、生まれつきの盲人に出会いました。弟子たちは「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」と問いました。何か特別に悪いことがあると、過去の行状に原因があるのではないかと反省したり振り返ってみるというのが普通の人の考え方だと思います。過去の罪がたたって病気になったのかという発想です。 イエス様は「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです」と未来への神様のご計画があるためだと答えました。神様はエレミヤによって「それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29:11)と言われています。 「この人に神のわざが現れるため」と未来に目を向けておられるイエス様であり、私たちの目を未来に向けさせて下さるイエス様の教えです。今は盲目という辛い境遇だが、イエス・キリストとの出会いはこの盲人の未来に光をもたらすと将来の希望が述べられています。神のわざとは救いのことです。イエス様は親の罪や先祖の祟りを全否定されているのです。 私が子どもの頃、私のお祖母さんは私が転んでたんこぶなどを作ったりすると「でかした、たんこぶの分だけ大きくなった、おまえはそこから大きくなる」と褒めてくれました。大きくなれるという将来の希望が与えられて、嬉しくなるというか、慰められたいうか、不思議に涙が引いてしまったということを思い出しました。将来の成長や救いに目を向けることが大事なのです。この後すぐ、この盲人は目が開かれてしまいます。神わざでかす。 祝福を祈ります。