今日の聖句5月16日(日)\(^o^)/ 私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは労苦とわざわいです。瞬く間に時は過ぎ私たちは飛び去ります。 詩篇90:10 どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、永遠の慰めとすばらしい望みを恵みによって与えてくださった方ご自身が、あなたがたの心を慰め、強めて、あらゆる良いわざとことばに進ませてくださいますように。 2テサロニケ2:16-17 **************** 今週のテーマ:受け入れるイエス きょうの聖書:ルカ10:25-37 ルカの福音書10章33節34節35節 旅をしていた一人のサマリア人は、その人のところに来ると、見てかわいそうに思った。そして近寄って、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行って介抱した。次の日、彼はデナリ二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』 「サマリヤ人の善行」 これは、ある律法の専門家がイエス様をテストしようとしたときのイエス様の返答です。その専門家はイエス様に「何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか」と問いかけました。実はこの人は内心で自分は律法を守っているので永遠のいのちを得ることができるという自信があったのです。 しかしイエス様は祭司もレビ人も律法の要(かなめ)を失っていて、強盗に袋たたきにされたユダヤ人を見捨てたが、ユダヤ人から罪びと扱いされているサマリヤ人は律法を知らなくても自腹を切って愛による善行を行ったと指摘し、永遠のいのちを受ける人は、このような人なのだからあなたも同じようにしなさいと、この専門家に教えたのです。 このサマリヤ人の姿はそのままイエス様の姿でもあります。イエス様はサタンに痛めつけられて瀕死の状態になった私たちを救い、癒すために、自腹を切るどころか、十字架で犠牲になって贖いを果たしてくださいました。実にイエス様はすべての病める人、痛んだ人を優しく受け入れて救い上げてくださる救い主なのです。 私たちもイエス様のように、苦境にある人に対して同情心を持ち、他の人の成長と成熟を手伝う人になっていきたいのです。逆の道を行く人は、私は悪くない、私にはたの人から咎められるような落ち度はないと考えます。そのような考え方自体が永遠のいのちに逆行しているのです。私たちは落ち度がないどころか罪びとなのです。 祝福を祈ります。