今日の聖句5月15日(土)\(^o^)/ 主の救いを静まって待ち望むのは良い。 哀歌3:26 主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐に向けさせてくださいますように。 2テサロニケ3:5 **************** 今週のテーマ:主に導かれて きょうの聖書:2コリント13:1-4 コリント人への手紙13章2節3節4節 今度そちらに行ったときには、容赦しません。こう言うのは、キリストが私によって語っておられるという証拠を、あなたがたが求めているからです。キリストはあなたがたに対して弱い方ではなく、あなたがたの間にあって力ある方です。キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対しては、神の力によってキリストとともに生きるのです。 「警告」 パウロはコリント教会の罪を犯している信者たちに「容赦しません」という強い言葉で警告しています。それは悔い改めさせるための指導であり、その人たちを処罰しないための警告なのです。神に背く信者にはキリストが伝道者の口を用いて説教するということが分かりません。もしキリストがパウロの口を用いて語っているというのなら、その証拠を見せろとまでいうのです。 悔い改めない人は、自分が罪を犯しているということに気が付かないのです。教会へも行っているし、献金もするし、聖書も読むし、祈りもしている、そのどこが悪いのだというのです。それは、神様に背く気持ちを心に抱きながら教会生活をしていることが罪だということがわからないということです。 キリストへの愛に基づいての礼拝でなく、見せかけの、自己中心による教会生活をパウロは咎めているのです。自己中心であることを罪と思わず、また、自分が自己中心であるということに気が付かない人は、多かれ少なかれ、周囲に対して相当迷惑をかけています。大体、証拠を見せろとは犯罪者が使う言葉です。証拠を見せろと言ったら私が犯人ですと言ったようなものです。 悔い改めて、神様のみこころに沿ったクリスチャンになるには、自分の人生の動機を点検することが大事です。キリストへの愛を動機にして生きるか、自己中心を動機にして生きるかで、その人の一生には雲泥の差が生じます。自分の心の中にある悪い欲望はすべて捨て去り、キリストに信頼して生きるという決断が私たちには必要なのです。その時私たちの目の前にはキリストの栄光が光り輝きます。 祝福を祈ります。