今日の聖句5月3日(月)\(^o^)/ 主は私の支えとなられました。主は私を広いところに連れ出し、私を助け出されました。 2サムエル22:19-20 イエスはそこから進んで行き、マタイという人が収税所に座っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われた。 マタイ9:9 **************** 今週のテーマ:新しい生命 きょうの聖書:ローマ5:12-21 ローマ人への手紙5章16説17節・21節 賜物は、一人の人が罪を犯した結果とは違います。さばきの場合は、一つの違反から不義に定められましたが、恵みの場合は、多くの違反が義と認められるからです。もし一人の違反により、一人によって死が支配するようになったのなら、なおさらのこと、恵みと義の賜物をあふれるばかり受けている人たちは、一人の人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するようになるのです。・・・罪が死によって支配したように、恵みもまた義によって支配して、私たちの主イエス・キリストにより永遠のいのちに導くためなのです。 「一人の人」 一人りの人はアダムとイエス様です。きょうの聖書では、12節〜14節で「アダムによってもたらされた罪と死」が語られ、15節から17節で「キリストによってもたらされた義といのち」が語られ、18節と19節で「一人の人の罪の影響と一人の人の義の行いの影響」が語られ、20節と21節で律法に優るキリストの恵みが語られています。 アダムの罪はすべての人を罪と死に定めましたが、イエス・キリストの十字架に至るまでの神様に対する忠実な従いが、私たち罪びとに対して絶大な善い影響となり、アダムの罪の影響を挽回して、イエス・キリストと共に天の御国の相続者としての身分を賜物として与えてくださったと述べられているのです。 多くの違反が義と認められるとは不思議な表現です。犯した罪が大きければ大きいほど、キリストによる赦しの恵みが心に深くしみるということです。自分が罪を犯したという自覚のない人には、イエス様の十字架の苦しみも、その結果の赦しも心に響きません。キリストの十字架と自分の人生がつながりらないのです。それをつなげてくださるのが聖霊様です。 律法の場合は犯した罪がそのまま死に直結するのですが、恵みの場合は犯した罪が輝くいのちにつながるのですから、恵みは律法に遥かに優るわけです。私たちは今、すでに罪の支配下にはおらず、恵みの中で生かされている幸福者なのです。神様はこれを一方的な発意によって成し遂げてくださったのです。 祝福を祈ります。