今日の聖句4月27日(火)\(^o^)/ わたしはあなたを地の果てから連れ出し、地の隅々から呼び出して言った。『あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、退けなかった』と。 イザヤ41:9 神はご自分の民を退けられたのでしょうか。決してそんなことはありません。 ローマ11:1 ************** 今週のテーマ:新しい契約 きょうの聖書:へブル9:11-22 へブル人への手紙9章12節13節14節 雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。雄やぎと雄牛の血や、若い雌牛の灰を汚れた人々に振りかけると、それが聖なるものとする働きをして、からだをきよいものにするのなら、まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。 「神に仕える者にする」 旧い契約では祭司が神殿で牛などの動物を屠って、それをその血を祭壇に注ぎ、その肉を焼いて煙にするという形の礼拝を捧げて罪の赦しと魂の清めを求めていました。それは、人間が犯した罪は血液によって償われなければならないという教えによります。それは、罪なんて犯したってどうということはないという考えを完全に否定しています。 自分が犯した罪に対しては自分の血をもって償いをしなければならないのです。そこで憐れみ深い神様は動物を身代わりにし、動物のいのちと動物の血で代償させることにしたのです。ところが、現実には動物犠牲の礼拝では罪が赦されることも心がきよめられることもありませんでした。 人間の罪を赦して和解し、人間の心をきよめて、人間を造り主である神様に仕えさせずにはおかない神様は、ご自身のひとり息子であるイエス・キリストを犠牲にして贖いを成し遂げたのです。動物犠牲の礼拝はイエス・キリストの十字架と贖い主であるキリストを礼拝することのモデルだったということです。 全く罪のないキリストの犠牲によって成し遂げられた贖いの効力は完全です。それは信じる者の心に働き、その人の罪を朝霧のように消し、その人の心を雪のようにきよめて、神様に仕えて生きることができるようにととのえるのです。罪に縛られていた人を罪から解放し、神様の愛で包んで神様の天地創造の御働きに貢献させてくださるのです。 祝福を祈ります。