今日の聖句4月25日(日)\(^o^)/ この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神。神は死を越えて私たちを導かれる。 詩篇48:14 あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。 ピリピ1:6 *************** 今週のテーマ:新しい契約 きょうの聖書:ヨハネ8:31-38 ヨハネの福音書8章31節32節 イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」 「キリストの弟子」 クリスチャンとはキリストの弟子になって初めてクリスチャンです。洗礼を受けてもキリストの弟子にならないならその人は真の意味ではクリスチャンではありません。クリスチャンの卵のような存在です。キリストの弟子とは一言でいって「イエス様のような人になりたい」という気持ちを持って生きている人です。 この段落は私たちに自分がキリストの弟子であるかどうかをチェックさせてくれる絶好の聖書箇所です。先ず、キリストの弟子とはみことば留まっている人です。自分の心の中にみことばの定位置を確保していて、与えられるみことばを受け入れる体制が整っていることです。心の中にイエス様の王座を常に確保しているといっても良いかも知れません。 次のポイントはイエス様を信じることによって自由を確保していることです。私たちの自由は、罪に支配されないことであり、死と罪からの解放です。常に死の力に脅かされ、死んだらどうしようと死の恐怖に怯える状態や、継続的に罪を犯し続け、疑心暗鬼の中で生きることからの自由であり解放です。 三つ目は主キリストに堅く結びつけられることです。「枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません」とイエス様は言われました(ヨハネ15:4)。私たちがイエス様にしっかり連なり、日々の交わりを楽しむことです。牧師はクリスチャンを弟子訓練し弟子として立たせて初めて牧師です。 祝福を祈ります。