今日の聖句4月18日(日)\(^o^)/ ダビデ王は主の前に出て、座して言った。「神、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。」 2サムエル7:18 神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。 1コリント15:10 **************** 今週のテーマ:贖う神 きょうの聖書:マルコ10:35-45 マルコの福音書10章42節〜45節 偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。 「仕えるもの」 弟子のヤコブとヨハネが、イエス様が天の御国の王座に着くとき、私たちをイエス様の右と左に座らせてくださいと頼んだ時のことです。多くの人は人々を支配するものになりたがるのですが、イエス様は弟子たちに仕える者になりなさいと命じました。 仕えるものとは、目上の人のそばにいて、その人に奉仕する人のことで、給仕という仕事です。それは、イエス様が人々を使役するために来たのではなく、人々のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと同じことだと言われたのです。 溺れかけている人を助ける方法に、上から手を伸ばして襟をつかみ、グイと持ち上げる方法と、下に潜り込んで持ち上げる方法があります。イエス様は私たちを上から鷲掴みにして引っ張り上げるのではなく、私たちの代わりに地獄へ落ちて、下から私たちを持ち上げるという形で救ってくださったのです。 自分のいのちを捨てて私たちを神の子として浮き上がらせてくださったということです。これがキリストの贖いです。私たちはこのことを忘れずに奉仕の生活をすることが肝心です。私たちはキリストに属し、キリストに準ずる生き方をします。キリストを礼拝するとはキリストの生き方を受け継ぐという意味です。良い礼拝をさ捧げましょう。 祝福を祈ります。