今日の聖句4月8日(木)\(^o^)/ 神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」彼は言った。「私は、あなたの足音を園の中で聞いたので、自分が裸であるのを恐れて、身を隠しています。」 創世記1:9-10 神の御前にあらわでない被造物はありません。神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。 ヘブル 4:13 ***************** 今週のテーマ:復活 きょうの聖書:1コリント15:12-28 コリント人への手紙第一15章20節21節22節 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。 「キリストによるいのち」 今日の聖書でパウロはキリストの復活が事実であることを論証しています。復活そのものを否定し、キリストの復活さえ否定する人がいますが、しかし、今やキリストはという言い方での論証です。キリストが復活したということは、単に肉体が死んで蘇生したということが重要なわけではありません。 それまで、最初の人アダムせいで「死」に閉じ込められていた人間が、キリストの復活のお陰で「いのち」を得ることができたということだからです。きわめて重要な神学的な意味が込められているのです。最初の人アダムによってすべての人に死がもたらされるようになったのですが、キリストによって、すべての人が「生かされる」ことになるのです。 人間の総代表のようなアダムの罪のせいで、私たちは「死」から逃れることができなくなっていたのですが、キリストによって、私たちは「いのち」の中に入れられているのです。パウロは人間を、アダムに属したままの状態の人と、キリストに属している人と分けて考えています。アダムは死を象徴し、キリストはいのちを象徴しています。 問題は、アダムのせいで死がもたらされ、絶望的だった私たち人間に対して、神様はキリストを遣わし、アダムと同じ影響力をもった存在として、死を打ち破り、いのちの中に私たちを招き入れてくださったのです。キリストが来られる前の私たちは、アダムに属す状態だったのですが、キリストが来られてから私たちはキリストに属す存在とされたのです。これが人間本来の生き方に通じるのです。 祝福を祈ります。