今日の聖句4月2日(金)\(^o^)/受難日 主は、あなたの地境に平和を置き、最良の小麦であなたを満たされる。 詩篇147:14 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。 エペソ2:14-15 ***************** 今週のテーマ:イエスの苦しみ きょうの聖書:マタイ27:32-56 マタイの福音書27章46節 十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 「見捨てられた」 マタイ伝27章にはイエス様が処刑された金曜日の出来事が詳しく記録されています。神様に見捨てられたということはイエス様の「死」に際して父なる神様がイエス様の父また味方という立場から、イエス様の敵の立場に移られたということです。神様がイエス様の慈父ではなく、罪びとを裁く審判者になられたということです。 イエス様が「死」によって罪びとの罪を償ってくださるということは、罪びとたちが立たされる神の裁きの座に、私たち罪びとに代わって立ってくださるということです。神の一人子であるイエス様が愛と信頼に満ちた父子関係から離れて、義なる審判者と、罰せられる罪びとという関係になっているのです。それが見捨てられたという言葉で表されたのです。 このイエス・キリストの死こそ旧約聖書にある犠牲の儀式による贖罪の成就であり、私たち罪びとはイエス・キリストによる贖いにより、創造主である神様を父なる神様と呼んで近づけるようにされたわけです。和解の成就であり、良好な関係の回復、親愛な交わりの誕生とも言えるのでしょう。 イエス様はご自分が父なる神様から捨てられて、犠牲儀式を廃止し、ユダヤ人と異邦人の隔ての中垣を取り除き、この世とあの世との間に立ちはだかっていた死の門も排除されました。ですから私たちもイエス様を見てこのお方こそ全人類の救い主だと褒め称えているのです。今日一日イエス様の死をじっくり考えて生活しようと思います。 祝福を祈ります。