今日の聖句3月28日(日)\(^o^)/棕櫚の主日 救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。 詩篇3:8 それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。 マタイ9:35 ***************** 今週のテーマ:イエスの苦しみ きょうの聖書:マタイ26:36-46 マタイの福音書37節38節39節 それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」 「ゲッセマネの祈り」 イエス様はご自分と「悲しみ、苦しみ」を共有して祈ってくれる祈りの友を求めておられるのです。今夜、襲ってくる「つまずく」誘惑に陥らないよう祈っていなさいと指導もしています。それほどの状況の中でもキリストの警告と約束を自分に当てはめない呑気なクリスチャンは眠ってしまうのです。 「この杯をわたしから過ぎ去らせてください」というイエス様の苦祷が記されています。旧約聖書で使われる「杯」はすべて神の怒りと審判に限られています。イエス様は正真正銘の人間です。死に反発し、死を本能的に拒否する当たり前の人間です。その上全く無罪です。そのイエス様の頭上に神の怒りの杯が炸裂しようとしているのです。 「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」「できますならば」「できますならば」「できますならば」と3回くり返して助けを求め、最後には「みこころのように、なさってください」と委ねて祈り終わります。 イエス様は初めから「この杯」を飲むつもりでした。ただそれを父の命令だから、嫌々ながら飲むというのでなく、本当に従順に飲めるように祈りの戦いを戦ったのがゲッセマネの祈りでした。こうしてイエス様は十字架に向かって足を踏み出していく勇気と力を勝ち取ったのです。 祝福を祈ります。