今日の聖句3月27日(土)\(^o^)/ あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れることがないように。 申命記8:14 すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 1テサロニケ5:18 **************** 今週のテーマ:神のさばき きょうの聖書:ガラテヤ3:1-14 ガラテヤ人への手紙3章6節〜9節 「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあるとおりです。ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子である、と知りなさい。聖書は、神が異邦人を信仰によって義とお認めになることを前から知っていたので、アブラハムに対して、「すべての異邦人が、あなたによって祝福される」と、前もって福音を告げました。ですから、信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受けるのです。 「信じるだけ」 ガラテヤ教会の人々はイエス・キリストの十字架の贖いによって救われたのですが、ユダヤ教徒やユダヤ人クリスチャンから、キリストを信じるだけでは救われない、救われるためにはユダヤ教の割礼を受ける必要がある、と言われて割礼を受けるようになってしまったのです。パウロはそれを厳しく咎めてキリスト信じる以外に救いはないと力説しています。 日本には割礼の習慣はありませんから誰も受けませんが、救いの確信を持てない人は、キリストを信じること以外に何らかの行いを行うことによって救われたという実感を味わおうとします。それを利用して金儲けをしようとするのが異端です。救われたければ献金しなさい、救われたければ宝物を買いなさい、救われたければ苦行しなさいと迫ります。要注意です。 普通に教会生活をしている人の中にも救いの確信に至らず、善行によって確信を得ようとしたり、罪滅ぼし的なことをして救われようとする人がいます。善行も罪滅ぼしも立派な徳目ですから大事にしなければなりませんが、それによって救われるということはないのです。結局、キリストの十字架と復活によって救っていただいたのだということを信じる以外に道はないのです。 私は、救われる前は、愛に飢え、罪と戦うことができず、生きがいを持てず、心の中には悪感情が渦巻いて、自分で自分を持て余すという生活をしていたのですが、ただ、キリストが命を投げ出すまでに私を愛してくださっているということを知ったときから人生が変わってしまいました。救いはキリストを信じるだけ、ただ、それだけなのす。 祝福を祈ります。