今日の聖句3月24日(水)\(^o^)/ 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」 創世記1:28 世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてはあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものです。 1コリント3:22-23 ************** 今週のテーマ:神のさばき きょうの聖書:へブル10:5-10 へブル人への手紙10章9節10節 「今、わたしはあなたのみこころを行うために来ました」と言われました。第二のものを立てるために、初めのものを廃止されるのです。このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。 「聖なるものとされた」 きょうの聖書にはイエス・キリストが天から降って十字架についた理由が明らかにされています。昔、ユダヤの国には動物を殺して神様に献げる犠牲礼拝がありました。これはモーセによって守るようにと厳しく定められていました。罪を犯した人間が神様の赦しを得るためには命をもって償わなければならないからです。 どれだけ多くの牛や羊を犠牲にしても、人の犯した罪が赦されることも、人の心がきよめられることもありませんでした。それで、神様が定めた時に、キリストが現れて全人類のために犠牲になったのです。動物犠牲の礼拝は、イエス・キリストの十字架の意味をすべての人に理解させるためだったのです。 初めのものとは、動物犠牲礼拝です。第二のものとは、イエス・キリストの十字架と復活による赦しときよめです。全知全能にして全万物の創造者である神様の御ひとり子が十字架にかかり、神様の怒りの刑罰を受けた以上、すべての人が赦されて無罪とされているということです。この永遠の救い主キリストを否定するならばその人には赦しは与えられません。 私たちは既に聖なるものとされています。自分も、そして、自分の目の前にいる人も、さらに、地球の裏側にいる人もすべてです。イエス・キリストを受け入れた人には二度と再び神様の怒りの刑罰が下されることはありません。キリストのただ一度のだけの十字架の死にはそれほどの力があるのです。私たちの罪は消去されたのです。 祝福を祈ります。