今日の聖句3月21日(日)\(^o^)/ まことに、わたしの手が地の基を定め、わたしの右の手が天を延べ広げた。 イザヤ48:13 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。 ヨハネ1:1-3 **************** 今週のテーマ:神のさばき きょうの聖書:マタイ13:34-43 マタイの福音書13章37節〜43節 イエスは答えられた。「良い種を蒔く人は人の子です。畑は世界で、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らです。毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫は世の終わり、刈る者は御使いたちです。ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそのようになります。人の子は御使いたちを遣わします。彼らは、すべてのつまずきと、不法を行う者たちを御国から取り集めて、火の燃える炉の中に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。そのとき、正しい人たちは彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。」 「神様が裁く」 マタイ伝13章にはイエス様の種蒔きの譬え話が三つ在ります。一つはまかれた種は豊かな実を結ぶという話で、もう一つは畑にまかれた種の中に毒麦が混じってしまったという話、三つ目はまかれた種は大木になるという話です。豊かに実を結ぶ話と大木になる話はよく分かりますが、毒麦が育つことと、毒麦を取り除いていけないという話は弟子たちに理解できませんでした。 それで弟子たちは改めて毒麦の譬えの説明を求めたのです。その質問へのイエス様の回答がきょうの聖書です。29節と30節でイエス様は、毒麦を除去するときに良い麦も一緒に抜かれる恐れがあるので最後の刈り取りの時までそのままにしておきなさいと指示しています。良い麦を傷つけないためです。 これは、教会の中に良いクリスチャンと悪いクリスチャンがいるということの矛盾への回答でもあります。悪いクリスチャンを除籍にすると、良いクリスチャンにも大きな影響が出てしまう場合があります。悪いクリスチャンの除籍処分は神様の御判断に任せなければなりません。神様は、悪いクリスチャンも裁きの日になる前に悔い改めて良いクリスチャンになることを期待しているのです。 最終的に神様が善悪のけじめをつけてくださるということが私たちの救いになります。法律の網の目を掻い潜って悪事を行っている人も最後には神様の処罰を受けることになるので、私たちが曖昧に裁きをしてはならないということでもあります。清く正しく生きる人には「御国で太陽のように輝」くという恵みが備えられているのです。 祝福を祈ります。