今日の聖句3月10日(水)\(^o^)/ 永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。 エレミヤ31:3 神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。 1ヨハネ4:16 ************** 今週のテーマ:不安と希望 きょうの聖書:アモス8:9-12 見よ、その時代が来る。─神である主のことば─そのとき、わたしはこの地に飢饉を送る。パンに飢えるのではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことの飢饉である。彼らは海から海へと、北から東へとさまよい歩く。主のことばを探し求めて行き巡る。しかし、それを見出すことはない。 「主のことば」 アモスとは「担う者」という意味のヘブル語です。アモスは北イスラエルでB.C.780年頃からB.C.740年頃まで活動した預言者です。同時期にはホセヤやヨナがおり、エルサレムではイザヤが活動を始めていました。アモスの死後20年ほどで北イスラエル王国はアッシリヤ帝国に滅ぼされてしまいました。 アモスは「わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に地を暗くする」という神様のみことばを語りました。これは、皆既日食を予言したというよりもむしろ、平凡な日常生活がいきなり一転して全土が絶望に包まれる日が来ると言っている言葉です。人生はまさに一寸先は闇なのです。 更にアモスは、「わたしはこの地に飢饉を送る」というみことばを語りました。これは、食糧難ということではなく、主のことばを聞くことの飢饉です。求めても探しても神様のみことばに触れることができない時代が来ると言ったのです。私たちクリスチャンとりわけ牧師にとってはみことばを失い、みことばを聞けないということは命とりなのです。 私たちは神様のみことばによって生きているからです。みことばが語られ、みことばが私たちの心に届けられている時に、みことばを確実に受け止めて私たちの心と人生の中に蓄えてえ置かなければなりません。大東亜戦争の末期に日本の牧師が一斉検挙されたことがありました。聖書を取り上げられた森五郎先生は刑務所の中で詩篇の第1篇から第150篇まですべて暗唱できたという話は有名です。 祝福を祈ります。