今日の聖句3月7日(日)\(^o^)/ さあ、あなたは腰に帯を締めて立ち上がり、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。彼らの顔におびえるな。 エレミヤ1:17 私たちは自分自身を宣べ伝えているのではなく、主なるイエス・キリストを宣べ伝えています。 2コリント4:5 *************** 今週のテーマ:不安と希望 きょうの聖書:マタイ23:37-39 マタイの福音書23章37節38節 エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。見よ。おまえたちの家は、荒れ果てたまま見捨てられる。 「招きと裁き」 神の裁きについて語られていますが、ここにはその裁きの根拠が示されています。「ああ、エルサレム、エルサレム」というイエス様の悲痛な叫びがここにあります。厳しい叱責の言葉の後、堰を切ったようにほとばしり出たイエス様の涙の声です。キリストの愛を拒否したものへの裁きです。 「めんどりがひなを翼の下に集める」は母鶏がひよこを翼の下にかくまうという比喩です。襲いかかる危険から保護するために神様が信者を守護されるという恵み深い愛のみ業を表します。そのように、イエス様は何度も選民イスラエルを愛情深く「救い」に集めようとされたのでした。 真心からの願いを込めた招きでしたが「あなたがた(選民)はそれを好まなかった」という拒絶の対応になってしまいました。キリストの「救いを受けよ」という招きが真剣な願いであったからこそ、拒絶した選民の態度は極悪罪になるのです。そして、あなたがたの家=エルサレム神殿=は滅ぼされ、荒れ果てたままに残されるということになりました。 招きに応じる「信仰」が必要です。それは、何かをすることではありません。愛を持って招いてくださる主の招きを素直に受け取ることです。愛されることを感謝する心です。単純に聞き従う耳です。素直に喜ぶ心で福音を聞くとき、私たちは何ものにも妨げられることなく聖霊の宮となり、神の神殿に組み込まれるのです。 祝福を祈ります。