今日の聖句2月27日(土)\(^o^)/ 鷲が巣のひなを呼び覚まし、そのひなの上を舞い、翼を広げてこれを取り、羽に乗せて行くように。 申命記32:11 すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。 ピリピ4:7 *************** 今週のテーマ:輝くイエス きょうの聖書:ピリピ2:6-11 ピリピ人への手紙2章6節〜10節 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。 「謙遜で輝くキリスト」 キリストの謙卑という言葉があります。私たちはイエス様の底なしの謙遜に圧倒されています。大体、普通の人は侮辱されると大暴れしたり、逆に落ち込んで自殺したりします。侮辱は人の心に大きな傷を与えるので侮辱罪という罪に当たります。学校でも社会でも大きな問題です。 しかし、イエス様は私たちを死と罪から救うために、ご自身から進んで侮辱される道を選んだのです。イザヤはキリストを「彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった」(イザヤ53:2-3)と表現しました。 イエス様は徹底した謙遜によって、永遠の救いを成し遂げてくださいました。それで、世界中の「すべての舌が『イエス・キリストは主です』と告白して、父なる神に栄光を帰す」のです。威張りくさった人が尊敬されることはありません。保身を優先する人も高く評価されることはありません。「実る程こうべを垂れる稲穂かな」という名言のとおりです。 この2章1〜11節の個所はキリスト賛歌と呼ばれる個所で、もともとは当時歌われていた讃美歌だったのではないかと言われています。一致への勧め、謙遜への勧め、キリストの謙卑と言われるまでの謙遜を模範とする生き方への勧めが書かれています。クリスチャンとはキリストに準じる者という意味です。キリストの兼備こそ私たちが模範にすべき大きな徳目です。 祝福を祈ります。