今日の聖句2月26日(金)\(^o^)/ 見よ、山々を形造り、風を創造した方。その御思いが何であるかを人間に告げる方。 アモス4:13 あなたが世から選び出して与えてくださった人たちに、わたしはあなたの御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに委ねてくださいました。そして彼らはあなたのみことばを守りました。 ヨハネ17:6 *************** 今週のテーマ:輝くイエス きょうの聖書:ヨハネ:31-39 ヨハネの福音書10章37節38節 わたしが、わたしの父のみわざを行っていないのなら、わたしを信じてはなりません。しかし、行っているのなら、たとえわたしが信じられなくても、わたしのわざを信じなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしも父にいることを、あなたがたが知り、また深く理解するようになるためです。 「見えるもので」 多くの人が、神は見えないので信じないと言います。また、神の声は聞こえないので信じないと言います。そして、ユダヤ教の指導者たちは、神は見えないはずなのに大工であるヨセフの子が、「わたしは神の子だ」と言い、わたしと父は一つですと言っているので、イエス様を神を冒涜する大罪人であるとして殺そうとしているのです。 それに対して、イエス様は、イエス様が行っていることを見なさいと言っています。イエス様は死んでしまったラザロを生き返らせ、ナインの町の青年が死んだときも生き返らせています。手足の不自由な人、足腰の悪い人、ツアラト病にかかった人もいやし、耳を聞こえるようにし、目の見えない人も見えるようにしました。この事実を見なさいと言っているのです。 神様を見えない人間に対して神様は一人の人イエス様を与えてくださいました。イエス様は一人の人―であり同時に天地創造の全能の神なのです。人類はイエス・キリストを見ることによって神様を見ることができ、イエス様の言葉を聞くことによって神様の声を聞くことができるようになったのです。鼓膜では聞けません。 イエス様の言葉は聖書として私たちの手元にあります。今私たちに見えるものは聖書であり、聖書に記録されたイエス様の数々の救いの行いです。私たちは聖書を読むことによって神様のお姿を見、聖書を読むことによって神様の御声を聞き、聖書を読むことなよって神様と交わることができるようになっているのです。聖書は2000年前の出来事の記録というだけではなく、今現在私たちに語り掛けているのです。聖書が自分に何を訴えているのかを聞こうとしなければなりません。 祝福を祈ります。