今日の聖句2月22日(月)\(^o^)/ 万軍の主よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします。 1サムエル1:11 この卑しいはしために目を留めてくださったからです。ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。 ルカ1:48 ***************** 今週のテーマ:輝くイエス きょうの聖書:出エジプト34:29-35 出エジプト記34章29節30節31節 モーセはシナイ山から下りて来た。モーセが山を下りて来たとき、その手に二枚のさとしの板を持っていた。モーセは、主と話したために自分の顔の肌が輝きを放っているのを知らなかった。アロンと、イスラエルの子らはみなモーセを見た。なんと、彼の顔の肌は輝きを放っていた。それで彼らは彼に近づくのを恐れた。モーセが彼らを呼び寄せると、アロンと、会衆の上に立つ族長はみな彼のところに戻って来た。モーセは彼らに話しかけた。 「主と話した」 モーセはシナイ山に登って神様と濃密な交わりの時を持ちました。最大の目的はイスラエル人が犯した偶像礼拝という罪を悔い改めめ、イスラエル人のために神様の赦しを求めるということでした。もう一つの目的は、これから後の出エジプトの旅の在り方について神様からの指導を受けることでした。 神様はモーセの祈りを聞き届け、イスラエルを赦し、またモーセに今後の指導を与え、再び十戒を刻んだ石板を二枚持たせて下山させてくださったのです。それは、過去の罪に対して赦しが与えられ、未来に向かう道筋が明確に示され、民に対する指導の原則を授かったということです。 その結果、モーセの顔の肌が光を放つほどになっていたということです。この濃密な交わりのためにモーセは40日40夜食事をせず、水も飲まなかったと28節に記録されています。蛍のお尻でもあるまいに人間の顔から光が出るものかと思うかもしれませんが、人の顔は神様との交わりで輝くようになるものです。 モーセの顔が光っていたので兄のアロンさえモーセに近づけませんでした。そのためモーセは神様の祈るとき以外は顔に覆いをかけていたと言います。それはモーセの謙遜と慎みの心を表しています。顔が光ることを自慢したり、顔の光で他の人に圧力をかけたり、まして、民との間に溝を作らないためです。私たちの人生も神様との交わりが厚くなると光り輝くようになるのです。神様との十分な交わりを保たなければなりません。 祝福を祈ります。