今日の聖句2月17日(水)\(^o^)/ 彼は彼らに言った。「行って、ごちそうを食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった人には食べ物を贈りなさい。今日は、私たちの主にとって聖なる日である。悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」 ネヘミヤ8:10 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持っていないようでも、すべてのものを持っています。 2コリント6:10 *************** 今週のテーマ:ゆるし きょうの聖書:ローマ14:1-12 ローマ人への手紙14章10節11節12節 あなたはどうして、自分の兄弟をさばくのですか。どうして、自分の兄弟を見下すのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つことになるのです。次のように書かれています。「わたしは生きている──主のことば──。すべての膝は、わたしに向かってかがめられ、すべての舌は、神に告白する。」ですから、私たちはそれぞれ自分について、神に申し開きをすることになります。 「さばきとゆるし」 きょうの聖書の1節と12節で繰り返して「裁いてはいけない」ことが語られています。裁くということはキリストだけができることであって、私たち人間にはできないことなのです。完全無欠な神様だけが人を裁くことができ、欠点の多い私たちには他の人を裁く資格はあり得ないのです。 裁くという言葉の意味は、有罪に決定するということです。しかし、神様はイエス・キリストの十字架によって私たちの罪を赦し、私たちすべての人間に無罪の判決を下してくださったのです。神様が無罪の判決を下した人に対して他の人が有罪の判決を下すことなどはあり得ないことなのです。 ですから、他の人を裁く人には「裁いた」という罪が残ってしまいます。これについてはローマ2章でも語られています。私たちには「それぞれ自分について、神に申し開きをする」という大きな責任がありますので、自分自身の日々の言行に気を付けていなければなりません。 私たちはお互いにお互いを「キリストが代わりに死んでくださった・・人」(ローマ4:15)として認めあうことから出発する必要があるのです。私たちはキリストが愛したように愛し合い、キリストが赦してくださったように赦しあう生活をしています。赦されなければ神様の面前には立てないのです。 祝福を祈ります。