今日の聖句2月12日(金)\(^o^)/ 自分を知恵のある者と考えるな。主を恐れ、悪から遠ざかれ。 箴言3:7 それぞれ自分の行いを吟味しなさい。 ガラテヤ6:4 **************** 今週のテーマ:クリスチャンの自由 きょうの聖書:1コリント9:19-27 コリント人への手紙第一9章21節22節23節 律法を持たない者のようになりました。律法を持たない人たちを獲得するためです。弱い人たちには、弱い者になりました。弱い人たちを獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。私は福音のためにあらゆることをしています。私も福音の恵みをともに受ける者となるためです。 「自分を変えて」 パウロは福音を語ることを使命と考えているわけですが、こちら側からの一方的な提示の仕方ではなく、相手の土俵の上に乗って、相手にわかる形で福音を語るということに心を用いています。ユダヤ人に伝道するときはユダヤ人として、異邦人に伝道するときには異邦人の立場に立ち、何とかして、そこに福音の恵みを届けるため、救いの希望をもたらそうとしています。 それは「仕える人」の姿勢です。こちらに上ってきなさい、そしたら与えてあげましょうと言う姿勢とは逆です。こちらから相手の懐に飛び込んで、共感を得ながら福音を提供するのです。また、その人の横に並んで話をし、福音を語ることです。この「相手の懐と相手の横」の二つが私たちの立ち位置になると良いのです。 パウロは信仰によって完全に自由にされています。それは、環境や状況に支配されない自由です。いま世界中がコロナ禍に在りますが、コロナだから何々ができないという言葉を聞きます。世間一般人の言いかたは、「金がないからできない」です。コロナ化で制約がありますが、コロナ禍でもできる仕事は沢山あります。コロナ禍でなければできない活動もあります。 パウロは状況に合わせ、環境に合わせて自由自在に宣教活動を進めました。ローマで逮捕され収監された時も、その環境の中で書簡の発行という手段で活動したのです。自由を失った人は「できない理由」を考えます、しかし、自由な人は「できる方法」を考えます。自分の姿かたちを変えてしまえばどんな狭い道も楽々通過できるのです。パウロには自分を変える自由があったのです。頑固だと行き詰ります。 祝福を祈ります。