今日の聖句2月11日(木)\(^o^)/ あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは咎を除き、ご自分のゆずりである残りの者のために、背きを見過ごしてくださる神。いつまでも怒り続けることはありません。 ミカ7:18 私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。 ローマ8:32 ***************** 今週のテーマ:クリスチャンの自由 きょうの聖書:1コリント9:13-18 コリント人への手紙第一9章13節14節15節 あなたがたは、宮に奉仕している者が宮から下がる物を食べ、祭壇に仕える者が祭壇のささげ物にあずかることを知らないのですか。同じように主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活の支えを得るように定めておられます。しかし、私はこれらの権利を一つも用いませんでした。また、私は権利を用いたくて、このように書いているのでもありません。それを用いるよりは死んだほうがましです。私の誇りを空しいものにすることは、だれにもできません。 「パウロの自由」 今日は昨日の続きです。あなた方とは、パウロを批判しているコリント教会の人々です。パウロは、なお徹底して、働いたものがその報酬を得ることの正当性を語り、宣教者たちがその宣教の働きから生活の資金を得ることの正当性を教えています。しかし、パウロはあえて、その権利を用いることをしませんでした。 それは、やましいことがあるからではなく、福音を宣べ伝えることを使命として生きるパウロの自発的な決意によるものでした。生活の資金を得るために福音を語るのではなく、報酬がなくても、まっすぐに福音を語ろうと、教会からの金銭的な援助を最初から期待しなかったのです。 それがパウロの使命であり、誇りでもありました。彼は生活のためには、テントを造る仕事をしました。牢の中ではクリスチャンたちからの贈り物を受け取っていますが、基本的には自分で働いて生活の資金を得ていました。それにはパウロは教会を迫害したという大きな負い目があったというわけもあります パウロは「自分の罪と神の裁きは逃れられない」いう問題でほとほと苦しみました。しかし、キリストは一方的な愛でパウロを愛し、十字架の死と復活をもって赦した上、異邦人への福音の宣教者として立てたのです。パウロは罪の重荷から解放されたので、キリストの赦しのすばらしさを宣教しないではいられない気持ちが燃えているのです。 祝福を祈ります。