今日の聖句2月1日(月)\(^o^)/ 主にとって不可能なことがあるだろうか。 創世記18:14 使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増し加えてください。」 ルカ17:5 ************** 今週のテーマ:神の完全 きょうの聖書:ヨハネ3:16-21 ヨハネの福音書3章16説17節18節 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。 「完全な神の愛」 昔、イスラエル民族が生まれる前、神様はアブラハムに一子イサクを犠牲に献げなさいと命じました。イサクはイスラエルの生みの親になるべき存在でしたがアブラハムは自分の子よりも神様を愛し、神様を掛け替えのない最も大切なものとして一子イサクを犠牲にする決心をしました。アブラハムの神様への愛です。しかし、そこには大きな苦しみもありました。 今、神様はご自分のひとり子イエス様を私たち罪深い人間のために犠牲にして下さいました。私たちはこれほど神様から愛されているのです。私たち一人一人の罪人は、神様の目から、ひとり子イエス様と同じように大切だと、それ以上に愛していると、熱い視線で見られているのです。神様の私たちへの愛はアブラハムの神様への愛をはるかに優っています。そして、アブラハムよりも神様は苦しんだのです。 「滅びる」という言葉は「我と我が身を見失う」という意味です。「迷える子羊」という表現がありますが、自分がどこにいるか分からなくなった状態、帰り道を失ったということが滅びたということです。「前途を悲観する」というのが「絶望」を意味する言葉として使われていますが、似た使われ方だと思います。私たちは御子の犠牲によって迷わずに生きられるようにされたのです。北極星の様に神様の愛が輝くからです。 「永遠のいのちを持つ」とは直接的に「キリストと共に生きる」ということです。イエス様の別名はインマヌエルで「神は私たちとともにおられる」と訳されています。限りない愛をもって愛していて下さるイエス様と共に生きるということ以上に大きな幸せがあるでしょうか。私たちはイエス様によって迷わずにお父様である神様の御前に復帰できたのです。 祝福を祈ります。