今日の聖句1月30日(土)\(^o^)/ 主よ、あなたが造られたすべてのものはあなたに感謝し、あなたにある敬虔な者たちはあなたをほめたたえます。 詩篇145:10 たびたび降り注ぐ雨を吸い込んで、耕す人たちに有用な作物を生じる土地は、神の祝福にあずかりますが、 ヘブル6:7 *************** 今週のテーマ:イエスに生きる きょうの聖書:ヨハネ15:1-10 ヨハネの福音書15章4節5節 わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。 「ぶどうの木」 そもそも、幹から枝が生え出てくるのであって、幹にとどまっていない枝は、既に折られてしまっているか、剪定ばさみで切られてしまっているはずです。それなのに、イエス様は「枝ならば枝の方から幹にくっついてこい」と招いておられるようです。これは接ぎ木ですね。甘い柿の実は全て接ぎ木によって稔るものです。 私たちはイエス・キリストの十字架の死と復活によって神の子として新生したのですが、言い方によってはイエス・キリストに接ぎ木されたものであると言えます。イエス様は私たちに祈りによっていのちの関係を養うように導いて下さっています。私たちは祈りによってイエス様に連なり、祈りによってイエス様にとどまることができるのです。祈りによってイエス様の愛を知ることが出来ます。 もしかすると、自分が無駄な枝で、切り取られてしまうのかと不安になる人もいるかも知れませんが、どんな人でもイエス様に連なった人で無駄な人生を送った人は居ませんし、無駄と思われるような者でも福音宣教のために使われると不思議に人々の救いの為に役立ちます。燃やす以外には何にもならない小枝でも、キャンプファイヤーのたき付けにはなります。 イエス様にとどまっていること、イエス様につながっていること、福音宣教と弟子訓練の為にイエス様に祈っていること、祈りによってイエス様とじっくり交わり、いのちの関係と絆を養っていくならば、私たちはイエス様の弟子として成長と成熟の実を獲得できるのです。イエス様が祈りに答えて、いつまでも残る伝道の実を収穫させて下さいます。 祝福を祈ります。