今日の聖句1月28日(木)\(^o^)/ 私は、あなたがこのしもべに与えてくださった、すべての恵みとまことを受けるに値しない者です。 創世記32:11 イエスは彼に言われた。今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。 ルカ19:9 **************** 今週のテーマ:イエスに生きる きょうの聖書:ガラテヤ2:15-21 ガラテヤ人への手紙2章19節20節 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。 「キリストの内住によって」 これは、ガラテヤ人への手紙の中で良く知られている言葉だと思います。自分の努力や頑張りで律法を守り抜き、その褒美として救いを手に入れるという考えは間違っているとパウロは力説しています。その方法ではだれひとり神様を満足させることができず、誰も「義とされない」のだと言っています。私たちはキリストの内住によってきよめられます。 キリストが十字架の上で犠牲となって罪の代価を支払ってくださったことを信頼することで、救いは届くのです。キリストの十字架の出来事と自分自身を合致させ、そこで自分も神からの裁きをキリストと一緒に通過したのだと信じて、その様に断定することで、よみがえられたキリストが私のうちに生き、救いが恵みとして届くのです。 律法を守り抜く努力は悪いことではないのですが、それによって神の救いを得るという考えには無理があるのです。そもそも、律法は私たちが自分で完全に実行し尽くすことができず、救い主を必要とすることをわからせる意味をもっているのです。聖書が言う正しい人とは、キリストを信じる人であり、同じく罪びととはキリストを信頼しない人のことです。 キリストを信じた人の心の中に完全無欠なキリストが住んでいるので、その人は救われており、きよめられているのです。キリストが十字架にかけられた時、私も一緒に律法によって断罪され一緒に神の裁きを通過し、死を通過し、キリストのよみがえりのいのちの中で一緒に生かしてもらえるようにされたのです。このガラテヤ2:20は是非暗唱しておいてください。 祝福を祈ります。