今日の聖句1月27日(水)\(^o^)/ 心迷う者は理解を得、不平を言う者も教訓を得る。 イザヤ29:24 あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。 ヤコブ1:5 *************** 今週のテーマ:イエスに生きる きょうの聖書:1コリント3:18-23 コリント人への手紙第一3章21節22節23節 だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。パウロであれ、アポロであれ、ケファであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてはあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものです。 「神様のものだから」 きょうの聖書では18節と19節で「愚かになりなさい」と力説されています。これは、「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」という真理を思い出させる言葉です。世の中で賢いと言われている人には、十字架に現わされた神様の知恵と神様の救いが分かりません。 十字架を信じる私たちは愚かと言われるかもしれませんが、お利口ぶって滅びを招くより愚かと言われても救われる方がよほど幸いなのです。「すべてあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものです」という言葉の背後に教師を取り込む分派活動への厳しい戒めが示されています。 私たちは、お利巧さんたちが展開する分派活動や、異端活動にはくみしません。私たちがどこに所属し、誰に所属しているのかということを真剣に考えれば、キリストに属し、神に属して生かされているということで十分なのです。だからこそ、キリストの心を思いつつ生きる姿勢が大事なのです。 キリストに属し、神に属している存在としての個人、教会、そういう意識をもう少し大事にしようと思います。私たちはキリストに生きるものなのです。「贖い」ということの意味がここにあります。もともと神のものであった私たちが、罪によって罪とサタンの奴隷になってしまいました。その私たちを罪とサタンの縛りから解放して、神のもとへ立ち返らせてくださったことが贖いなのです。 祝福を祈ります。