今日の聖句1月26日(火)\(^o^)/ わたしのことばは火のようではないか─主のことば─。岩を砕く金槌のようではないか。 エレミヤ23:29 わたしは、地上に火を投げ込むために来ました。火がすでに燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。 ルカ12:49 *************** 今週のテーマ:イエスに生きる きょうの聖書:1コリント3:10-17 コリント人への手紙第一3章16説17節 あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。もし、だれかが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。あなたがたは、その宮です。 「神の宮」 信仰の土台、それは神の御霊が私たちの心の内に住んでおられるということだと言われています。教会はキリストを土台にして建てられた群れであり、キリストを信頼している個人、そのどちらも「神の神殿」なのです。教会というキリストチャンの群れは「神の御霊が住まわれる神殿」であり、そこにつながるひとりひとりが神殿でもあります。 「だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます」とパウロは書きましたが、自分の心の内にキリストが御霊となって住んでいるということをしっかり信じることによって、自分自身を神の神殿として聖く保つことができます。この信仰を放棄するなら私たちの信仰は成り立たないのです。キリストが土台となって私たちの人生全般を下支えしているからです。 ところで、神殿の最重要課題は「神様への礼拝」です。神殿として機能するのは礼拝によってです。そこには赦しの宣言があり、献金があり、祈りがあり、賛美があり、み言葉の朗読がありす。私たちの生きる場で、その礼拝を実質のあるものにしなければなりません。それはキリストを見上げ、キリストを手本にして生きることです。 神様の御霊を宿すキリスト教会は地上におけるキリストの身体です。建築物がそれぞれの部分から成り立つように、私たちはキリストの身体の部分でもあります。神の御霊が私の内に住んでいるという事実があるので、私たち個人の信仰とキリスト教会がキリストの身体として機能することができるということです。 祝福を祈ります。