今日の聖句1月23日(土)\(^o^)/ わたしは彼らをわたしの喜びとし、彼らを幸せにする。わたしは、真実をもって、心と思いを込めて、彼らをこの地に植える。」 エレミヤ32:41 ルカ19:10 人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。 **************** 今週のテーマ:神の招き きょうの聖書:イザヤ6:1-13 イザヤ書6章6節7節8節 私のもとにセラフィムのひとりが飛んで来た。その手には、祭壇の上から火ばさみで取った、燃えさかる炭があった。彼は、私の口にそれを触れさせて言った。「見よ。これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り除かれ、あなたの罪も赦された。」私は主が言われる声を聞いた。「だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか。」私は言った。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」 「イザヤの応答」 イザヤはこの出来事は、ウジヤ王が天に召されたB.C.735年のことだと言っています。イザヤはヒゼキヤ王と共にウジヤ王の孫です。セラフィムとは、右に3枚、左に3枚の翼を持つ天使です。セラフィムは聖書中この場面にだけ登場しています。イザヤは自分で自分を「私は唇の汚れた者」と言っています。 ウジヤ王の死後ユダヤではアハズが王位を継ぎますが、アハズは信仰心が薄いことが分かっています。神様はユダ王国に誰かを預言者として遣わそうとしています。イザヤは自分が汚れた存在であると認識して神様の御用には立てないと思っているのですが、セラフィムが飛んできて炭の火をイザヤの唇に当てたのです。 これはイザヤがきよめられたということです。そこへ神様からの「だれを、わたしは遣わそう」という御声がかかり、イザヤは即座に「ここに私がおります。私を遣わしてください」と応答したわけです。キリストは私たちにも同じ促しを与えています。自分は汚れていると言ってしり込みしている時ではありません。 今は、私たちクリスチャンがイエス・キリストと神様のみことばを信じて福音宣教に立ち上がるべき時です。派遣される先は見ず知らずの世界ではなく私たちの家族や私たちの兄弟であり、私たちが生活している地域です。キリストが復活して世界を救ったことを知らせるのです。世界は救われたのですが世界はそれを知りません。 祝福を祈ります。