今日の聖句1月21日(木)\(^o^)/ 神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。 創世記2:7 愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。 3ヨハネ1:2 **************** きょうの聖書:マタイ10:34-42 マタイの福音書10章40節41節42節 あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。預言者を預言者だからということで受け入れる人は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だからということで受け入れる人は、義人の受ける報いを受けます。まことに、あなたがたに言います。わたしの弟子だからということで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません。 「受け入れる者」 福音を伝える人を受け入れることは、イエス様を受け入れるということであり、イエス様を受け入れるということは父なる神様を受け入れるということだとイエス様が教えています。弟子たちもイエス様を受け入れたので、イエス様の働きに参加できるようになったのです。受け入れるということが大事なことです。 弟子達は「小さい者」と呼ばれ未熟者、初心者の扱いを受ける立場ですが、神様とキリストから宣教に派遣されたという公式な身分が与えられています。私たちも教会から伝道に派遣されていくとき、(同じ立場、使徒ではありませんが)同じ証人としての身分が与えられます。それぞれが所属する教会を代表しているのです。 教会の中で、福音に仕え、或いは外に出て宣教の働きをする人に対して、冷たい水一杯提供するような人は、たとえ未信者であっても、その働き人が神様から受ける報いを共に受けることができると教えています。ですから、私たちクリスチャンを支える家族は神様の祝福を受けるのです。 支援的に奉仕者を受け入れて協力する人が求められています。福音を語る人も、福音を聴く人も共に大事にすべき事は、支援の心を持ち、支援的に接し、支援の手を差し伸べていくことではないでしょうか。自分のしたいことをするのではなく、支援される人の願いが叶えられるように互いに仕えあっていきたいとおもいます。 祝福を祈ります。