今日の聖句1月13日(水)\(^o^)/ わたしが主人であるなら、どこに、わたしへの恐れがあるのか。 マラキ1:6 兄は『行きたくありません』と答えたが、後になって思い直し、出かけて行った。 マタ 21:29 *************** 今週のテーマ:献げる きょうの聖書:創世記22:7-12 創世記22章11節12節 アブラハムは手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。そのとき、主の使いが天から彼に呼びかけられた。「アブラハム、アブラハム。」彼は答えた。「はい、ここにおります。」御使いは言われた。「その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。」 「総責任者」 アブラハムは神様にイサクを捧げる決心をしていますが、何故そのように決心できたのかはこの8節に「神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださるのだ」という言葉に表されています。アブラハムには神様が総責任者であるという信仰が整っているのです。総責任者とは主権者ということです。 私たちはしばしば、自分が責任者であるという間違った考えを持つ場合があります。しかし、いつでもどこでもどんな場合でも責任者は神様ですから、私たちが出しゃばって自分で責任を取ろうなどと考えてはならないのです。私たちがとらなければならない責任はキリストを信じるということだけです。 アブラハムが神様を信じて神様の命令通りにイサクを殺そうとした時、神様から「その子に手を下してはならない」というストップの指令が届きました。神様にアブラハムの神様を最優先にするという信仰が届いたのです。御使いはアブラハムに「今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった」と言っています。 神様は総責任者として私たちの人生に最後の責任を取ってくださるお方です。自分の人生も家族や子どもたちの人生も、神様の愛の御手の中に守られています。イサクの命も一時的に危険にさらされましたが、神様はイサクをアブラハムの後継者として立派に成長させて下さいました。神様を総責任者として信じることが大事です。 祝福を祈ります。