今日の聖句1月12日(火)\(^o^)/ わたしは、わたしの群れの残りの者を、わたしが追い散らしたすべての地から集め、元の牧場に帰らせる。彼らは多くの子を生んで増える。 エレミヤ23:3 あなたがたのうちのだれかが羊を百匹持っていて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。 ルカ15:4 *************** 今週のテーマ:献げる きょうの聖書:創世記22:1-6 創世記22章1節2節3節 神がアブラハムを試練にあわせられた。神が彼に「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は「はい、ここにおります」と答えた。神は仰せられた。「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい。」翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、二人の若い者と一緒に息子イサクを連れて行った。アブラハムは全焼のささげ物のための薪を割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ向かって行った。 「アブラハムの信仰」 神様はアブラハムに試練を与えました。アブラハムの信仰がどれほどのものであるかを見定めるということです。その内容は、アブラハムの後継者となるひとり子イサクを全焼の献げものとして捧げなさいという極めて厳しいものでした。「翌朝早く」とありますので、おそらくアブラハムは一睡もしないで一晩中どうしたものかと考え尽くし、神様の命令に従う道を選んだのだと思います。 この時アブラハムは既に110歳を超えて、信仰生活は円熟の域に達していました。平穏な生活の中で、いきなり、イサクを捧げよと命じられたのです。しかしこれは神様の壮大な人類救済計画の一環だったのです。神様は、世界各地で行われていた人身御供、人心犠牲を認めていません。 神様がイサクを求めたのは、神様ご自身が御ひとり子イエス様を人間の罪の贖いとするという計画持っていることを暗示する出来事なのです。神様が求めたのはアブラハムの神様への信仰の従がいでした。アブラハムは7この困難な問題を神様への信仰の従がいによって見事に乗り切ったのです。 神様がアブラハムに難しい試練を与えたということは、アブラハムの信仰を引き継ぐ私たちにも同じように試練が与えられるということです。しかし、神様は私たちに試練を与える時、必ずその試練からの脱出の道も備えていてくださいます。難しい場面でも「私はキリストを信じる」という姿勢を崩さないことです。 祝福を祈ります。