今日の聖句1月9日(土)\(^o^)/ 主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、私はさばきについてあなたにお聞きしたいのです。なぜ、悪者の道が栄え、裏切りを働く者がみな安らかなのですか。 エレミヤ12:1 最後に来たこの者たちが働いたのは、一時間だけです。それなのにあなたは、一日の労苦と焼けるような暑さを辛抱した私たちと、同じように扱いました。 マタイ20:12 *************** 今週のテーマ:主の栄光 きょうの聖書:詩篇1:1-6 詩篇1篇1節〜4節 幸いなことよ悪しき者のはかりごとに歩まず罪人の道に立たず嘲る者の座に着かない人。主のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える。悪しき者はそうではない。まさしく風が吹き飛ばす籾殻だ。 「幸いの源」 神様は幸いの源です。すべての幸いは神様から流れてきます。神様は私たちのために良い計画を立てていてくださいます。親が子どもの未来を考えて「幸多かれ」という計画を立ててくれるのとよく似ています。人間の場合、親の立てた計画が子どもの幸福にならない場合もありますが、神様が建てる人間への「幸多かれ」という計画が外れることはありません。 その計画が存在することそのものが私たちの幸福になっているからです。神様は私たちに「わたしの目にはあなたは高価で尊い」という視線を向けていてくださいます。神様からの熱い愛のこもったまなざしを向けられていることは私たちにとっては大きな力です。神様は私たちの味方なのです。 それが分かっているので私たちは、何があっても、主のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむのです。神様が私たちに語ってくださる愛の言葉が私たちに力を与えるからです。ですから、私たちは神様をあざけるなどと言うことは決してしません。むしろ、神様を褒め称え、神様を賛美して毎日暮らせるのです。 悪しき人とは、法律を破る悪人のことではありません。神様を幸いの源であると考えない人のことです。その人の人生の最後には、あたかももみ殻が吹き飛ばされた時の様に何も残らないのです。「一体、私の人生は何だったのでしょう?」という結末になるのです。しかし、幸いな人の人生の最後には神様から愛されて生きた満足が残るのです。 祝福を祈ります。