今日の聖句12月24日(木)\(^o^)/[聖夜] 私のたましいは神を生ける神を求めて渇いています。いつになれば私は行って神の御前に出られるのでしょうか。 詩篇42:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」 マタイ2:2 **************** 今週のテーマ:贖い主の誕生 きょうの聖書:ルカ2:8-15 ルカの福音書2章10節11節12節 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」 「私の救い主」 彼らとは、羊飼いたちです。救い主降誕の知らせを最初に受けた人は、エルサレムの聖書学者でもなく、神殿で働く祭司たちでもありませんでした。ベツレヘムの郊外で野宿しながら昼夜羊を守っていた羊飼いたちだったのです。彼らは天使から世界のすべての人々に向けて語られたキリスト誕生の知らせを自分の耳で直接聞いたのです。 神様の御一人子である救い主を誰よりも早く礼拝する特権を得たのは卑しめられていた最下級の人たちだったのです。イエス様は罪びとの友であり、貧しい民の友人です。ベツレヘムの羊飼いが何の遠慮もためらいもなく近づいて礼拝できた救い主は、今もなお、誰でも近づいて来るものを歓迎する優しい救い主です。 家畜小屋に生まれ、飼い葉おけに寝かされたということがそういうことを暗示しているのです。羊飼いたちが聞いた天使のメッセージは、「民全体に与えられる、大きな喜び」でした。その内容が「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました」ということです。 聖書は個人的に読むべきものです。あなた方のためにと言われた言葉を、私個人のために生まれてくださったと受け取らなければなりません。私たちがイエス様を「私の救い主」として信じることが必要だということです。そうしないと救いも恵も空の上を雲のように飛んで行ってしまうのです。今日はクリスマス・イヴです。改めてイエス様を私のために生まれてくださった救い主としてお迎えしましょう。 祝福を祈ります。