今日の聖句11月9日(月)\(^o^)/ わたしを尋ねなかった者たちに、わたしは尋ね求められ、わたしを探さなかった者たちに、わたしは見出された。 イザヤ65:1 人は律法の行いとは関わりなく、信仰によって義と認められると、私たちは考えているからです。 ローマ3:28 *************** 今週のテーマ:終わりの時 きょうの聖書:1コリント15:20-26 コリント人への手紙第一15章24節25節26節 終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。最後の敵として滅ぼされるのは死です。 「死を滅ぼしたキリストの復活」 きょうの聖書では前半でキリストと私たちの復活について述べられています。後半では、今の世界が終結し、新しい世界に生まれ変わるという神様の御計画が語られています。そして、そこにおいては、もはや「死」は完全になくなってしまうのです。死が完全に滅ぼされたとき、神様がまさに主権者であることが明確になり、新しい世界を造るためのイエス様の役割が完了します。 神様が主権者なのです。そして、死の存在や人間の極めて身勝手な支配や権威の存在は、神様の主権に反抗し、反発しているようなものとパウロは考えています。それらのものを一切排除し、神様に完全な支配権を戻すためにキリストが来てくださり、死と復活の出来事で、まず、死の力を粉砕したのだとパウロは説明しているのです。 それは、神様は人間を死なないようにできないのか、神様は今の不条理な世界を放置しておくのか、という質問に対するパウロの回答でもあります。キリストが死を粉砕し、信じる者に永遠のいのちを与え、やがて裁きの執行者として私たちを悩ますすべての不条理を裁くために時を定めているのです。 そして、やがてその日が来て、死も社会の不条理も清算されることになり、神が圧倒的な主権者であることがわかるはずだとパウロは語るのです。前向きなパウロの回答を、私たちはどう受け取れるのでしょう。ここに、人生の諸問題に対する解決と、キリストの十字架の死と復活の意味が明確に示されているのです。 祝福を祈ります。