今日の聖句11月3日(火)\(^o^)/ エルサレムとともに喜べ。すべて彼女を愛する者よ、彼女とともに楽しめ。すべて彼女のために悲しむ者よ、彼女とともに喜び喜べ。 イザヤ66:10 ちょうどそのとき彼女(ハンナ)も近寄って来て、神に感謝をささげ、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、この幼子のことを語った。 ルカ2:38 **************** 今週のテーマ:主の日 きょうの聖書:1コリント15:50-55 コリント人への手紙第一15章51節52節53節 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。 「勝利の日」 私たちの肉体は有限であり、霊的な世界にあるすべての祝福を受け継ぐことはできません。霊的な世界の祝福、その永遠性を受け継ぐことができるために、肉体的な死が打ち破られる必要がありました。それをキリストが成し遂げてくださったのだとパウロは教えています。 キリストを信じる時、キリストの復活のいのちが私たちの存在を覆うのです。その復活の力は、今、生きている間でも、希望を与える土台になっているので、大いに私たちの益になるのです。肉体は死んでも、そのまま、霊的な世界に引き継がれていく確証をキリストの復活はもたらしてくれるのです。 死と罪の力に縛られていた私たちが神の愛の世界で生きられるようになったということが、そのことを物語っています。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。 「死は勝利に呑み込まれた」「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか、死よ、おまえのとげはどこにあるのか」ここにパウロの死に勝つ勝利のすさまじい宣言があります。肉体的にはすべての人が死を経験するのですが、キリストのいのちはそれを超えて私たちを覆っているのです。「永遠のいのち」こそ、神の最大の祝福です。主の日はいのちが死に打ち勝つ勝利の日です。 祝福を祈ります。