今日の聖句10月27日(火)\(^o^)/ 人はどのようにして、神の前に正しくあり得るのか。たとえ、神と言い争いたいと思っても、千に一つも答えられないだろう。 ヨブ9:2-3 心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛すること、また、隣人を自分自身のように愛することは、どんな全焼のささげ物やいけにえよりもはるかにすぐれています。 マルコ12:33 **************** 今週のテーマ:不可能はない きょうの聖書:申命記4:25-31 申命記4章30節31節 こうして終わりの日に、これらすべてのことがあなたに臨み、あなたが苦しみのうちにあるとき、あなたは、あなたの神、主に立ち返り、御声に聞き従う。あなたの神、主はあわれみ深い神であり、あなたを捨てず、あなたを滅ぼさず、あなたの父祖たちに誓った契約を忘れないからである。 「生殺与奪の権」 申命記4:25-28までにイスラエルが偶像を拝み、神様に対して悪を行い、神様の怒りを引き起こすようなら、神様はカナンの地からイスラエルを追い出し、滅亡させると言われました。さらに、イスラエルは落ちていった先で偶像に仕えるようになり、その後、その境遇の中で再び主を求め、主にお会いできると語られています。(29節) それに続いて、30節と31節で、イスラエルが神様に立ち返るなら、「主はあわれみ深い神であり、あなたを捨てず、あなたを滅ぼさず、あなたの父祖たちに誓った契約を忘れない」と救いの約束を与えられました。神様には主権、所有権、決定権がありますが、それに加えて全能の神様は「生殺与奪の権」も持っているのです。 イエス様はマタイ伝の最後で「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています」と宣言されました。私たち人間が思い上がって神様を否定したり、無視したり、神様の権威に反抗することは絶対にできないことなのです。そのことを証明しているのがイスラエルの歩んだ歴史です。 今の時代の私たちにとっての偶像礼拝は自己中心な生き方をすることです。そして、それに対する神様の裁きは私たちの心を不平、不満、疑念、敵意、悔しみ、恨みなどの悪感情に陥らせるのです。一口で言って「つまらない」という気持ちです。つまらないという気持ちになったら自分の自己中心を悔い改めることです。キリストは再び私たちに愛と光を注いでくださいます。 祝福を祈ります。