今日の聖句10月21日(水)\(^o^)/ 彼がエニシダの木の下で横になって眠っていると、見よ、一人の御使いが彼に触れ、「起きて食べなさい」と言った。 1列王記19:5 私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。 2コリント4:7 **************** 今週のテーマ:信仰によって生きる きょうの聖書:使徒25:8-12 使徒の働き25章11節12節 「もし私が悪いことをし、死に値する何かをしたのなら、私は死を免れようとは思いません。しかし、この人たちが訴えていることに何の根拠もないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカエサルに上訴します。」「おまえはカエサルに上訴したのだから、カエサルのもとに行くことになる。」 「パウロの上訴の意味」 パウロはキリストの復活を宣伝したとして、ユダヤ当局に逮捕され、ユダヤ総督のフェストゥスによる裁判を受けました。フェストゥスからローマ皇帝カエサルに上訴するかどうかを問われて上訴の道を選びました。上訴とは、訴訟法上の法律用語で、裁判に対する不服を理由として当該裁判の確定を遮断して上級の裁判所に新たな裁判を求める不服申立てのことを言います。 パウロはフェストウスに「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、カエサルに対しても、何の罪も犯してはいません」と言い切っています。完全に正しい活動をしているパウロにとっては逮捕されることも裁判にかけられることも怖くはないのです。もし、無罪の人間を処刑すれば、処刑した人の罪が露にされるからです。 もう一つ、パウロはローマの市民権を持っているので、ローマで正当な裁判を受ける権利があるのです。その裁判は公式な記録が残されます。カエサルの法廷で受けた尋問と、それに対するパウロの弁明がローマ帝国の公式文書として後の時代に残されていくのです。パウロのキリストが復活したことを証言する言葉が公式文書として残るのです。 義人とは、信仰によって生きる者であり、私たちが依って立つ信仰はキリストの復活への信仰です。キリストが復活したことと、それをパウロが証言したことで私たちの現在の信仰が成り立っているわけです。パウロが経験した復活のキリストとの関係は今私たちが経験できていることです。私たちも後の時代の人にキリストの復活を証言しておく責任ががあるのです。 祝福を祈ります。