今日の聖句10月8日(木)\(^o^)/ ヨシュアは民に言った。「主を選んで主に仕えることの証人はあなたがた自身です。」彼らは「私たちが証人です」と言った。 ヨシュア24:22 自己卑下や御使い礼拝を喜んでいる者が、あなたがたを断罪することがあってはなりません。 コロサイ2:18 ***************** 今週のテーマ:思慮深くあれ きょうの聖書:ヨブ40:1-5 主はヨブに答えられた。非難する者が全能者と争おうとするのか。神を責める者は、それに答えよ。ヨブは主に答えた。ああ、私は取るに足りない者です。あなたに何と口答えできるでしょう。私はただ手を口に当てるばかりです。一度、私は語りました。もう答えません。二度、語りました。もう繰り返しません。 「脱出への道」 試練や苦しみとは正しいものには無縁で、罪びとに対して与えられるものであるという考え方があります。試練や苦しみを処罰と考えたらそう言えなくもありません。ヨブは自分が神様を信じて正しく生きてきたので、神様が自分に苦しみを与えるのは神様の方が間違っていると思い続けています。 それでヨブは、自分の正義を申し立て、自分の無罪を主張し続けてきました。神様はここで、(神様を)「非難する者が全能者と争おうとするのか」と一喝します。ヨブは「私が悪かったのです」と答えるべき場面ですが、口に手を当てただけです。そして言った言葉は「もう答えません」です。ムッとした感じです。 これは、何を言っても無駄だという気持ちの表れで、反省は微塵もありません。それでこの後神様のヨブへのお叱りの言葉が続きます。私たち人間には神様に聞く心が必要なのです。神様に指図と導きを求めることです。ヨブはそこに気づきません。神様は試練や苦しみからの脱出の道を備えて待っています。 使徒16:31に「救われるためには、何をしなければなりませんか」という言葉が記録されています。もう答えませんと言って、祈りを止めるのではなく、この哀れな罪びとをお赦しくださいと祈らなければならないのです。苦しみや困難の中では「神様は私に何を学ばせようとしているのですか」と尋ねることも脱出への道につながります。 祝福を祈ります。