今日の聖句10月3日(土)\(^o^)/ 苦しみのあったところに闇がなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は辱めを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダンの川向こう、異邦の民のガリラヤは栄誉を受ける。 イザヤ9:1 あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。 1ペテロ2:9 ************** 今週のテーマ:耐え忍ぶ きょうの聖書:詩篇11篇1節2節3節 主に私は身を避ける。どうしてあなたがたは私のたましいに言うのか。「鳥のように自分の山に飛んで行け。それ見よ悪者どもが弓を張り弦に矢をつがえ暗がりで心の直ぐな人を射抜こうとしている。拠り所が壊されたら正しい者に何ができるだろうか。」主はその聖なる宮におられる。 「裏切られても」 この詩篇はダビデの子アブシャロムがヘブロンで挙兵してエルサレムを奪取するという謀反事件を背景に作られたダビデの詩です。ダビデは体制を整えるためにヨルダン川東岸まで避難しました。息子に裏切られるということは誰にとっても大きな痛手です。しかし、裏切りという罪は何時でも何処でも起こりうることです。 ダビデはこの詩の冒頭に「主に私は身を避ける」という言葉を掲げました。主に身を避けるとは、神様を頼りにし、神様に祈るという意味です。「鳥のように自分の山に飛んで行け」とは、アブシャロムに王位を譲り、自分は引退せよ、ということです。「弦に矢をつがえ」とは、引退しないなら殺されるぞという意味です。 「拠り所が壊されたら」とは、社会秩序が破壊されたらということで、子どもが親を殺すために軍を動員するという事態に至っては自分としては対策の立てようがないという気持ちが込められています。しかし、ダビデの心には「主はその聖なる宮におられる」という確信が満ちています。 この7節では「主は正しく正義を愛される。直ぐな人は御顔を仰ぎ見る」と述べて、神様の確実な愛と保護を獲得しています。ダビデの心は再び平安と寛容が戻り、部下の将軍にアブシャロムを殺さないようにと指図してヨルダン川を渡りました。忍耐とは平安と寛容の中に現れるものであると教えられます。 祝福を祈ります。