今日の聖句10月2日(火)\(^o^)/ 彼の道を見たが、それでもわたしは彼を癒やす。わたしは彼を導いて、彼とその嘆き悲しむ者たちに、慰めを報いる。 イザヤ57:18 医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。 マルコ2:17 *************** 今週のテーマ:耐え忍ぶ きょうの聖書:ヨブ5:17-21 ヨブ記5章17節〜20節 ああ、幸いなことよ、神が叱責するその人は。だから、全能者の訓戒を拒んではならない。神は傷つけるが、その傷を包み、打ち砕くが、御手で癒やしてくださるからだ。 六つの苦しみから、神はあなたを救い出し、七つの中でも、わざわいはあなたに触れない。飢饉のときには、あなたを死から、戦いのときには、剣の力から贖い出す。 「神様の叱責」 神様の叱責とは、親が自分の子どもを叱るのとは違います。神様の叱責とは言葉を換えれば試練とか苦難と言い換えられるものです。それは、会社の倒産とか、住居の火災とか、家族の死とか、そういう挽回困難と思われるような出来事が自分の生活の中で起きることです。隣人からは「お気の毒に」という言葉をかけられるようなことです。 そういう出来事を神様からの叱責、つまり、神様からの教育として受け止めて感謝しなさいというのがきょうの聖書です。多くの教育を受けた人が立派な人になるように、神様から多くの試練を受けた人が成熟した立派なクリスチャンになれるのです。苦労することは幸せです。日本では、立派な人格者を「苦労人」と呼んで尊敬しています。 危機を潜り抜けた人は、危機に直面している人に直接助言することができます。イエス様は多くの苦しみを味わわれたので、苦しみの中にある私たちに適切な助言をし、手助けをしてくださいます。私たちも苦しみを味わい、そこから立ち直ったときにはキリストの福音を証言することのできる神の僕となれるのです。 神様の叱責は、私たちを悩ませたり、悲しませるためではなく、私たちを訓練されたキリストの弟子として立たせるためです。一つの試練で一つの知恵にたどり着き、一つの苦しみで一つの階段をのぼり、一つの叱責で愛と真実を学ぶことができるのです。「若い時の苦しみは買ってでもしろ」と言われている通りです。ヨブ記は、試練や苦しみが続いても神様が私たちを見捨てたわけではないことを証しています。 祝福を祈ります。