今日の聖句9月30日(水)\(^o^)/ 私は信じています。まことに私は語ります。私は大いに苦しんでいました。 詩篇116:10 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いた人は、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠を受けるからです。 ヤコブ1:12 **************** 今週のテーマ:耐え忍ぶ きょうの聖書:ヨブ1:18-22 ヨブ記1章19節20節 「荒野の方から大風が吹いて来て、家の四隅を打ち、それがお若い方々の上に倒れたので、皆様亡くなられました。私一人だけが逃れて、あなたに知らせに参りました。」このとき、ヨブは立ち上がって上着を引き裂き、頭を剃り、地にひれ伏して礼拝し、そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」 「ヨブの忍耐」 ヨブは神様に認められた正しい人でした。そのヨブにサタンが挑戦しました。家族や財産を奪えばヨブが信仰を捨てるだろうとして攻撃してきたのです。大勢いた息子や娘を一瞬にして失ったヨブは大きな悲しみに包まれましたが、神様への信仰はますます強くなりました。このような場面で「主は与え、主は取られる」とはなかなか言えないものです。 「私は裸で母の胎から出て来た」と言っていますが、これは、神様がすべての物事を主体的に治めていると信じていることを言い表した言葉です。ヨブはしっかりと神様の主権を認めてその主権の下で生きていた人なのです。だから、「主は与え、主は取られる」と言えたのです。私たちにしても、いつ生命に関わるような危険にさらされるかわかりません。 私たちはいつでもどこでも何をしているときにも、神様の主権の中で生かされていることを忘れてはならないのです。ヨブは「上着を引き裂き、頭を剃り、地にひれ伏して礼拝し」ました。これは深い悔い改めの姿です。子どもたちの死を誰か他人のせいにするのではなく、自分の責任としているのです。確かに自分の身辺で起こることの責任は自分自身に在ります。 ヤコブの手紙5章7節から11節までに耐え忍びなさいという言葉が5回出てきます。クリスチャンにとって忍耐は大切な徳目です。その11節には「ヨブの忍耐」という言葉が使われ、ヨブ記の結末の神様の栄光の表れを知っていると書かれています。勝利は忍耐の結果与えられるものです。オリンピックの金メダルも忍耐の結果であることは確かです。 祝福を祈ります。