今日の聖句9月25日(金)\(^o^)/ あなたのみおしえを愛する者には豊かな平安がありつまずきがありません。 詩篇119:165 キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。 コロサイ3:16 *************** 今週のテーマ:他人を赦す きょうの聖書:マタイ18:28-33 マタイの福音書18章28節29節30節 ところが、その家来が出て行くと、自分に百デナリの借りがある仲間の一人に出会った。彼はその人を捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。彼の仲間はひれ伏して、『もう少し待ってください。そうすればお返しします』と嘆願した。しかし彼は承知せず、その人を引いて行って、負債を返すまで牢に放り込んだ。 「赦しの鉄則」 昨日の続きです。1万タラント赦された家来には自分の仲間に対して100デナリの貸金がありました。1デナリは1日分の日当相当額です。ですから時給1250円とすると約100万円です。それは1万タラントの10万分の1にも満たない額です。100デナリの借金があった仲間は地面にひれ伏して「もう少し待ってください」と頼みました。 しかし、この家来は自分が赦されたことを忘れて、仲間を牢に放り身んでしまいました。これを別の仲間たちが見ていて、王様に一部始終を報告しました。王様は、彼を呼びつけて「私はおまえの負債をすべて免除してやったのだ。おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか」と言ってこの家来を獄吏に引き渡したのです。 赦すものが赦されるという鉄則があります。赦すというところに最終的な正しさがあるのです。他の人を赦さない人は神様からの咎めを免れることはできません。赦さないという言葉は、裁くという言葉と同じ意味です。他の人を有罪として裁くことは、神様のさばくなという命令に違反するわけですから自分を有罪にしてしまいます。 王様の「私はおまえの負債をすべて免除してやったのだ。おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか」という家来への言葉は、イエス様から私たちら向けて語られている言葉です。私たちは赦すことによって自分が救われます。キリストの十字架があるからです。赦されて生かされていることを忘れないようにしたいと思います。 祝福を祈ります。