今日の聖句9月15日(火)\(^o^)/ アブラムは、主が告げられたとおりに出て行った。 創世記12:4 ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子である、と知りなさい。 ガラテヤ3:7 ***************** 今週のテーマ:争いを避ける きょうの聖書:創世記50:15-21 創世記50章19節20節21節 ヨセフは言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりになることができるでしょうか。あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたも、あなたがたの子どもたちも養いましょう。」このように、ヨセフは彼らを安心させ、優しく語りかけた。 「和解に向かう善意」 これはエジプトでの話です。カナン時代にヨセフには兄が10人と弟が1人いました。父親のヤコブがヨセフを特別に愛したので、兄たちはヨセフに嫉妬してライオンを捕獲する穴に落として殺そうとしましたが、長男のルベンがヨセフの命をを助けるためにエジプトへ奴隷として売却したという出来事がありました。 ヨセフはエジプトで高官に買い取られた後、エジプトの総理大臣に抜擢されました。カナンが干ばつに襲われ、飢饉になったとき、ヤコブと11人の兄弟たちはエジプトのヨセフを頼って飢饉を逃れることができたのです。その後、父親のヤコブが死亡したため、ヨセフが兄たちへの恨みを晴らすために兄たちに復讐するのではないかという不安が起こったのです。 兄たちがヤコブに土下座して、赦しを求めたところでヨセフが兄たちに語った言葉が今日の聖書です。ヨセフは「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました」と言って兄たちに危害を加える意思はなく、すでに赦していることを告白したのです。ヨセフは自分が奴隷として売られたことも、飢饉が起こったことも、すべてを善意に解釈していました。 物事を善意に解釈して受け止めるということはとても大事なことです。善意は私たちの心に住む聖霊様が私たちに与えてくださる賜物の一つです。悪意に解釈するか、悲観的に受け止めるか、それとも善意に解釈し、楽観的に受け止めるか、物事への対応次第で争いにもなり、和解にもなります。神様は私たちにいつも善意で対応してくださっています。私たちも善意を身に着け、和解に向けて生きるものでありたいと思います。 祝福を祈ります。