今日の聖句9月7日(月)\(^o^)/ 御目は人の子らのすべての行いに開いていて、それぞれにその生き方にしたがい、行いの結ぶ実にしたがって報いをされます。 エレミヤ32:19 私たちが労苦し、苦闘しているのは、すべての人々、特に信じる人々の救い主である生ける神に、望みを置いているからです。 1テモテ4:10 *************** 今週のテーマ:へりくだる きょうの聖書:ローマ12:12-17 ローマ人への手紙12章15節16節 喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。互いに一つ心になり、思い上がることなく、むしろ身分の低い人たちと交わりなさい。自分を知恵のある者と考えてはいけません。 「おもいあがり」 多くのクリスチャンが陥る一つの問題が「思い上がる」ということです。それは一般の人も同じですが、罪の赦しを得ると、赦された経験のない人に対して思い上がり、上から目線で指導しようとします。きよめられたという経験をするときよめの確信の無い人を見下す場合があるのです。救いの確信を得ると救われてない人に地獄の話をして脅したりします。 パウロはクリスチャンに隣人と喜びと悲しみを共有することを勧めています。救いの確信を与えられた私たちが偉いわけではなく、悲しんでいる隣人が悪いわけでもありません。罪深い私たちを憐れんで救ってくださったイエス様の十字架が素晴らしいのだということを忘れてはならないという話です。 時々、高名なキリスト教指導者が、僧侶や神官に向かって、私の信じているキリストが本物の神であり、あなた方の宗教は聖書で偶像と呼ばれるいう偽物ですと言って侮辱を与えることがあります。思い上がった考えで他の人の身の上を蔑むようなことは在ってはならないことです。自分が知恵のあるものだと思うとそのような罠にはまるのです。 思い上がることなく、自分の限度を知り、神様の憐れみでかろうじて生かされているに過ぎない身であることをよく理解しなければならないのです。イエス様がすべての人のいのちを貴び、ご自分のいのちを犠牲にして世界を救ってくださったということを踏まえて謙遜にならせていただきたいと思います。 祝福を祈ります。