今日の聖句9月6日(日)\(^o^)/ 主はすべてのわざわいからあなたを守りあなたのたましいを守られる。 詩篇121:7 平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。 1テサロニケ5:23 **************** 今週のテーマ:へりくだる きょうの聖書:ルカ:14:7-11 ルカの福音書14章10節11節 招かれたなら、末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『友よ、もっと上席にお進みください』と言うでしょう。そのとき、ともに座っている皆の前で、あなたは誉れを得ることになります。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。 「謙遜に生きる」 クリスチャンの人生では謙遜であることが最も大切な徳目です。自分の力を誇らず、神様を信頼して生きるということが謙遜であるからです。反対に傲慢な人は、神様を無視し、神様に反抗し、神様に敵対して生きています。そこには信仰は存在しません。ですから創造主の前にひざまずいて祈ることが謙遜の第一歩です。神様に対して自分を低くするということです。 罪の問題があります。罪は人と神様を断絶させます。その結果、罪を犯す人の人生には神様の祝福は届かず、生きがいの無い生活を繰り返さなければなりません。自分がが一番偉いという気持ちから、いじわる、不親切、乱暴という罪が生まれ、自分が一番大切という気持ちから、ねたみ、憎しみ、うそ、わがままが生まれます。 何でも自分のものにしたいという気持ちから、けんか、姦淫、盗み、むさぼりが生まれ、自分だけは楽をしたいという気持ちから、怠け、不平、愚痴、悪口が生まれます。神様を無視した傲慢な生活にはいいところは何もありません。そればかりか、隣人への罪のために人間関係が打ち壊されてしまい、人生も家庭も崩壊します。 へりくだって神様と共に生きる人には、神様の愛と恵が注がれ続けます。自己中心ではなく、神様中心の生活をするからです。罪がないので、日々の生活の中で心に負担(ストレス)を受けることがなく、心身ともに軽やかに生きられます。謙遜な人は神様の聖名が崇められることで満足しますので不満がありませんから明るく楽しく生きられるのです。 祝福を祈ります。