今日の聖句9月3日(木)\(^o^)/ 心の不安は人を落ち込ませ、親切なことばは人を喜ばせる。 箴言12:25 互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。 エペソ4:32 ***************** 今週のテーマ:いのちに通じる門 きょうの聖書:マタイ7:13-14 マタイの福音書7章13節14節 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。 「微笑みを絶やさない」 8月31日ルカ伝の13:23-25を読んで並行記事を学びました。今日は「微笑みを絶やさない」というタイトルにしました。日本語では宗教を信じる信者になることを入信と言います。柔道や剣道の道場の弟子になることを入門と言います。イエス様は私たちにイエス様を信じる弟子になりなさいという意味でキリスト道に入門しなさいと導いています。 イエス様の道はいのちに至る道であり、神様に従って生きる道でした。イエス様の御生涯は徹頭徹尾神様に従い、神様のみこころを行うものでした。キリストの道に入った私たちはイエス様の歩んだ道をイエス様に倣って生きていくのです。イエス様の道は十字架に向かう道であり、イエス様は私たちに自分の十字架を負ってわたしについて来なさいと招いてくださいました。 自分の十字架を負うとは、自分が一生を費やして成し遂げなければならない仕事を成し遂げるという意味です。自分の人生に使命として与えられた責任を全うするという意味です。イエス様にはイエス様の使命があり、私には私に与えられた使命があるのです。神様から私たちすべての人間に共通して与えられている使命は「神様を愛し、隣人を愛して生きる」ということです。 イエス様は33年の御生涯全てを費やして「神の愛に生きる道」を歩み、私たちに手本を残してくださいました。いのちに至る門を見いだせる人は少ないのですが、イエス様は私たちをその門の前に立たせてくださったのです。この門を通り、神の国への道を歩む人の顔はすべて笑顔です。微笑みこそが「神様を愛し、隣人を愛して生きる」姿そのものなのです。大目標は微笑みを絶やさない。 祝福を祈ります。