今日の聖句9月2日(水)\(^o^)/ 日よ月よ主をほめたたえよ。主をほめたたえよすべての輝く星よ。天の天よ主をほめたたえよ。 詩篇148:3-4 主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。 黙示録4:11 **************** 今週のテーマ:いのちに通じる門 きょうの聖書:申命記5:6-10 申命記5章6節7節8節 わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。 「偶像礼拝禁止」 これは、イスラエルにモーセを指導者として立ててエジプトから約束の土地カナンへ導いた神様が、神様以外のものを神様として礼拝してはならないと厳命しているみことばです。神様とは天地の造り主です。造り主以外のものはすべて造られたもの、つまり、被造物であって造り主にはなり得ません。 偶像の本体は人間自身であり、その人の汚れた欲望こそが偶像そのものなのです。造り主と造り主の命令を無視して、自分の欲望を満たそうとする人が、偶像を作り、偶像を拝むようになるのです。神様は罪を厳しく咎めますが、偶像は罪を咎めません。神様は悔い改めを求めますが、偶像は悔い改めを求めません。 イザヤ2:22には、「人間に頼るな。鼻で息をする者に。そんな者に、何の値打ちがあるか」という名言があります。人にとって一番恐ろしい偶像は自分自身なのです。ですから、クリスチャンとして生きる上では、自分の心が神様によってきよめられることが何より優先されるのです。 ノンクリスチャンには、お守りのようなものを大事にする人がいます。貴金属や宝石のようなもので祇(偶像)を刻んで懐に持ち歩く人がいますが、とても危険な行為です。すべて偶像を拝む人には神様の祝福は届きません。偶像礼拝という罪を悔い改めて造り主である神様に立ち返った人だけが神様の大きな愛に包まれて生きることができるのです。 祝福を祈ります。