今日の聖句9月1日(火)\(^o^)/ その日になると、エッサイの根はもろもろの民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のとどまるところは栄光に輝く。 イザヤ11:10 イエスは、水の中から上がるとすぐに、天が裂けて御霊が鳩のようにご自分に降って来るのをご覧になった。すると天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」 マルコ1:10-11 **************** 今週のテーマ:いのちに通じる門 きょうの聖書:へブル12:14-17 へブル人への手紙12章14節15節 すべての人との平和を追い求め、また、聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、だれも主を見ることができません。だれも神の恵みから落ちないように、また、苦い根が生え出て悩ませたり、これによって多くの人が汚されたりしないように、気をつけなさい。 「愛と聖」 すべての人との平和を追い求めるとは、自分の人間関係の中ですべての人との間のイエス・キリストによる愛の関係を築き上げる努力を続けなさいということであり、聖さを追い求めなさいとは、信仰心がきよめられるように祈りなさいということです。キリスト教会のいのちは愛と聖です。 牧師が日曜日の説教で、互いに愛し合いなさい、きよめられなさいという説教を止めてしまうと、その教会は堕落の坂を転げ落ちる心配が出てきます。私たちは神様の守りと助けを祈り続けています。その守りとは罪を犯して堕落しないようにという意味での守りと助けなのです。天の御国への希望を捨てずに愛ときよめを求めるのです。 苦い根が生え出るとは、人目がなければ罪を犯したいという気持ちが心の正面に現れることです。一般の人間は罪に傾く性質を持っているということです。自分の心を放置し、野放しにしたら謙遜や従順とは別の方向に進んでしまうのです。それを避けて天の御国への道を歩き続けるためには毎日聖書を読んで自分の心を制御する必要があります。 キリスト教のある一派では、人間の心がきよめられるのは、臨終のときであるという教理を持っている所もあります。ハッキリ言いますが、それはごまかしです。私たちはイエス・キリストを信じている限り、キリストによってきよめられているのです。私たちをきよめるのはイエス・キリストです。私たちはキリストによって常に愛と聖を持ち続けることができるのです。 祝福を祈ります。