今日の聖句8月23日(日)\(^o^)/ 民よどんなときにも神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。 詩篇62:8 何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。 1ヨハネ5:14 **************** 今週のテーマ:必ずいます神 きょうの聖書:ピリピ2:12-13 ピリピ人への手紙2章12節13節 こういうわけですから、愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。 「従順」 パウロはピリピの信者に従順になり、自分の救いを達成しなさいと指導しました。パウロがピリピにいた時にピリピの信者が神様に対して従順であったように、パウロがピリピを離れている今、なおさら従順であるように求めています。従順と謙遜はクリスチャンが一生をかけて追い求めていく大きなテーマです。 それは、私たちが毎朝神様に祈り求める祈りの大きな柱です。私たちの弱さの一つは、他人、特に指導者の目が光っていると従順になるのですが、指導者の監督の目が離れると自分の好き勝手に生きてしまう傾向があるということです。指導者がいてもいなくても神様は常に私たちの心の中にも目の前にもいるのだということを忘れてはならないのです。 キリストへの従順を捨ててしまうと私たちはいきなり罪を犯すようになります。強盗や殺人を犯すわけではありませんが、神様を無視して生きるようになるということです。神様を無視した人の心は堕落していて、愛も喜びもなくなっています。その人はキリストの救いから遠のいてしまっているわけです。 神様は私たちの心の中に在って私たちを完全な救いに導いてくださるお方ですから、私たちがその神様に従順に生きれば、私たちは幸福になり、神様の御計画通りに救いを達成していけるということです。神様への従順の完全な模範がイエス・キリストの生涯に現れています。ですから私たちはキリストを信じ、キリストを見上げて生きていくのです。 祝福を祈ります。